院長が、西宮で開業した理由 『夏の甲子園出場』
西宮北口 西宮ガーデンズにある内科・糖尿病内科・代謝内科・循環器内科のいわもと内科クリニック院長 岩本です。
私が、西宮で内科クリニックを開業する決意をした理由は、今から約30年前、私が高校2年生 16歳の夏にまでさかのぼります。
『夏の甲子園初出場』
とても暑い日の第一試合でした。
9回2アウト、1対0で勝利目前。
あと一人アウトをとれば、甲子園初勝利。
私は創立140年以上が経過した田舎の公立高校出身です。母校が甲子園出場を果たしたのは、春夏あわせて後にも先にも、この1回のみ。そして幸運にも、甲子園初出場が高校時代に訪れたのです。
実は、この甲子園出場をはたす2年前、当時のキャプテンがくも膜下出血で他界という信じられない出来事がありました・・・・・。人望の厚いキャプテンの急死、その亡き先輩の思いを受け継ぎ、夢を現実にかえた念願の初出場でした。
その日、エースN先輩は最高のピッチングでした。試合も4番バッターT先輩のホームランで、1対0でリード。9回ツーアウト、あと1アウトで勝利。ゲームセットの瞬間がすぐ目の前にまで、来ていました。
しかし、ここから想像すらしなかったことがおきてしまいます。
相手チームの最後のバッターは、4番。N先輩が自信をもって投じた球は、ピッチャーごろ。あとは、1塁に送球してゲームセットのコールを聞くだけ。しかしその瞬間、信じられないことが起きたのです。1塁への悪送球・・・・そこから逆転を許し、1対2で逆転負けを喫してしまいました。
おそらく高校野球甲子園史上、最も勝利に近づいた敗戦だと思います。
翌日の新聞に、日本を代表する作詞家・阿久悠さんが、N先輩に向けて詩を送っています。
「頂上から奈落へ、得意から絶望へ運命の切り替えが、わずか1秒で行われるとは、女神の悪戯としたら度がすぎる。
いつかこの1秒は、無限のような価値を持って、君の人生に戻ってくるだろう。」
先輩には感謝しかありません。高校野球では無名な公立高校が、先輩の死という、とてつもない喪失感の中からはい上がり、みんなの期待を一身にうけた重圧をも跳ね返し、夢を実現した大エース。
甲子園出場は、私に「夢をみることの大切さ、そしてその夢を実現するために努力することの大切さ」を教えてくれました。時に運命は、絶望や試練という大きな壁を我々につきつけます。しかし、それをのり越える勇気と希望を与えてくれる場所が、「西宮」なのです。
高校野球の聖地『甲子園』。その聖地のある「西宮」は、30年以上前から私が人生を生きていくうえで、とても大切なことをいつも教えてくれる場所なのです。
大好きな西宮市。この地で、みなさまに少しでも恩返しができますように、「健やかでより豊かな人生」をみなさまに提供できるように頑張っていきたいと思います。
どうぞ末永く、よろしくお願いいたします。